自分のお米に対する思い入れがあるからこそ、お百姓たちは真夏の太陽が照りつける下でも、梅雨の雨が多い時期でも、手入れの労をいとわないのです。もっとも、最近の日本では、田植え直後の除草剤散布と畦専用の草刈り機が安価に普及したおかげで、草取り・草刈りの労苦から開放されました。それがために、生産者の平均年齢が六十歳を越えても、少ない生産者人口で日本の主食をつくり続けることが可能となっているわけです。
ですので、ルアンナムター県ロン郡の事業地を見るにつけ、「こんなだだっ広い焼畑を、ここのお百姓さんたちは、いったいどうやって管理しているんだろう」と、いつも不思議な気持ちで一杯になります。僕も百姓駆け出しの数年、無農薬・無除草剤で米をつくったことがあったので、草取りの大変さは体で覚えています。こちらのあの広い焼畑を自分たちの手足だけで管理していることが、実感として理解できないのです。
7月末に村へ事前調査に行った折、ある村では若い衆たちが話しに応じてくれました。村によっては、灌漑が機能していないために、以前いた村の片道二時間もある焼畑で自分たちの主食をつくらなければならないところもあると聞きました。その村の若い衆に聞くと、彼らの焼畑地はすぐ近くにあるとのこと。「それなら、連れて行って、見せてくれない?」と頼むと「おぉ、いいよ」と若頭。集落のある高台からいったん森の中へ降りていって、しばらく鬱蒼とした森のなかをと歩いて、上がっていくと、、、
そこは小高い丘陵で、足元からむこうの、ずっとむこうの尾根まで、陸稲の緑色が大地を覆っていました。その美しさに言葉が出ませんでした。案内してくれた若頭は、「ほら、この太い木も、植え付け前にこうやって斧で切り倒したんだ。いやー、大変だったよ」と身振りで話してくれました。
しばらく行くと番小屋があり、草取りをしていたおばちゃんたちが午後の日差しをさけて休憩していました。美しい焼畑を見て興奮していた僕は、「この広い畑を、草取りしていたんですか? ほんとに? 大変でしょ?」と身振りで話しかけていました。「うんうん、そうなのよ、大変よ、腰も痛いし!」と笑いながら、おばちゃんたちも答えてくれました。
すでに今頃、あの緑色に輝いていた稲は穂をつけはじめていることと思います。ここしばらくは、事業開始の準備のためにビエンチャンにおりましたが、黄金色に輝く山の風景と彼らの新米の美味しさを想像して、ロンの事業地に恋焦がれている毎日です。
小 出 (ADRA Japan)
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