Association of Japanese Residents in Lao P.D.R.



2009年3月号目次

・日本人会副会長

・ブランコ贈呈式
・日本人会運動会「勝者の弁」

・3学期スタート
・新春餅つき大会
・小学生の部卒業式

初の直行便、成田から飛来!
ラオスの鉄道
ラオスの薬用植物?
サヤブリの象祭り
ラオスの不発弾の汚染状況
伝統スポーツの紹介 弓とコマ
日本人会ゴルフ愛好会

・ミタパープ会

・一年間ありがとうございました!

コ  ラ  ム

ラオスの鉄道


 3月5日にノンカイ/ビエンチャン間の鉄道が正式に開通した。前日にタイ側でシリントン王女の出席のもと式典が行われ、翌日にラオス側で式典がとりおこなわれたのである。これで、ビエンチャン/バンコク間約627kmが鉄道で結ばれたことになる。

 鉄道の計画は1994年に友好橋が完成してすぐに進められていたがアジアを襲った経済危機で頓挫していたらしい。タイ側の鉄道延伸とノンカイ新駅の建設は2000年に完成していて、そのときからノンカイは終着駅ではなく、駅名標には次の駅がタナレーンであると表示されていた。事情を知らないた旅行者には不思議がられていたらしい。

 ラオス側の工事は2000年から2001年にかかけて設計作業が行われ、2007年1月に着工。2008年2月に線路の接続式典の行われたことが新聞で報道されていた。新聞には同年4月には開通すると書かれていたが、その後詳しい情報はなく、約1年後の開通式となったのである。1年ぐらいは誤差の内なのだ。

 私たち日本人から見ると鉄道開通は国民にかなり大きなインパクトを与えると思うのだが、実際はそうではないらしい。私がいるビエンチャンハイスクールの生徒や教職員のほとんどは最近までラオスに鉄道がやってくることを知らなかった。たしかに、タナレーン/バンコク間が鉄道でつながっても、特に何も変わらないのだろう。タラートサオからバスに乗ればノンカイやウドンタニまで簡単にいけるし、バンコクに行く人などほとんどいないのかもしれない。とりあえずはタイ側からの観光客やバックパッカーが利用することになるだろう。

 ところで、ラオスには太平洋戦争前からの鉄道があるのをご存知だろうか。メコン川は最終的に太平洋に流れていくのだが、船で下ると、カンボジアの手前でシーパンドン(4000島)に阻まれ、ラフティングでもやらない限り太平洋に出ることはできない。シーパンドンは観光地として重要だが、もしこれがなかったら、ラオスの歴史は大きく変わっていたに違いない。

 当時、ラオスを統治していたフランスはメコン川上流から物資を船でシーパンドンまで運び、島のところだけ鉄道を使って再び船に積み替えて、太平洋に運び出すことを考えた。その鉄道橋と、機関車が今も残っている。実際にどれほど使われたのかどうかは不明だが、日本軍による仏印処理で廃止されたらしい。

 タナレーン/バンコク間は3月17日の時点で夜行のみ1日1便正式に運行されている。ノンカイまではこの便以外にもう1便ある。
てっちゃんねっと・トレーニング・センター
吉  田