― 僕が入ったチーム ―
僕が来たとき、ラオスにはラグビーチームが3チームありました。僕が入ったのは外国人主体のBuffalosです。他にはラオス人主体のTigersと 女子チームのLionsがありました。ラオス人主体のTigersはどこで活動しているのか、ほとんど活動休止状態でした。Buffalosは、オーストラリア、フランス、イギリス、ラオス、日本と、言葉も性格も異なる各国混成チームで、それぞれのお国柄が表れ、意見対立もしょっちゅうありましたが、僕とラオス人は何を言われても、「ハイ」と従順に練習参加していました。
Buffalosの普段の練習は週2回で夜7時から9時の2時間ぐらいですが、対外試合があるときなどは土のグランドで泥まみれになりながら、へとへとになるまで練習します。僕が入った直後には、初の対外試合Bangkok7’sがあり、チームの皆にとっては久々の対外試合とあって大はしゃぎ、僕にとってもすごく気持ちが膨らむ初の対外試合となりました。因みにBangkok7’sに参加していたのは、ラオスのほか、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、イギリス、スリランカ、ベトナムなどです。かなり本格的だと思いませんか。
― 心に残る試合 ―
僕にとって最初の試合であったBangkok 7’sは心に残る試合であることはもちろんですが、一番心に残るものと言えば、何といっても2009年5月23日にカンボジア、プノンペンで行われた国際試合にラオスのナショナルチームの代表として出場したことです。ナショナルチーム代表資格は、其の国に3年以上住めばもらえるのです。ナショナルチームとしての試合は、重厚としていて身の引きしまるものでした。試合前のラオス国歌は観客も一緒に全員で斉唱しました。前半40分、後半40分の試合は、選手みんなで掛け声をかけ戦い抜きました。残念ながら試合は負けてしまいましたが、試合後全員が感無量の面持ちで涙を浮かべていました。僕もそしてラオス人もそしてチーム全員がアウェーでの試合の辛さを感じながら。
― ラオスのラグビー事情 ―
3年半の滞在中にラオスのラグビー事情もいろいろ変わりました。僕の所属していた、Buffalosはチームが2つに分割されたのです。理由はお互いに切磋琢磨しラグビーのレベルを高めあっていこうというものです。新しいチームはWild Hogs(野豚ちゃん)。主力メンバーはラオスのナショナルチームメンバーで、結構真剣に練習するというのがチームスタイルです。一方のチームは、フランス人が中心で楽しむラグビーをモットーにしていて、Buffalosという名前をそのまま継続しています。僕はBuffalosの方に残りました。楽しむラグビーといっても、外国人が多いのでBuffalosとWild Hogsとはいい勝負です。
ラオスでのラグビーの発達の夢をかけた、イサーンリーグについても触れておきましょう。
Bangkok 7’sの対外試合の他にも、タイのコンケン大学との交流戦などがあります。大変楽しいイベントですが、これにはラオスラグビー発展に向けての大きな野望が見え隠れするものです。コンケン大との交流戦は、マハサラカム、ロイエト、ノンカイにあるラグビーチームとビエンチャンのチームとの間で定期的にリーグ戦が組めるようにし、ラオスがゆくゆくはワールドカップを目指すための国際ラグビー協会(WC)に加入するための準備でもあるのです。ラオスにおいてはまだ遥かな道のりかもしれませんが、着実に夢実現に向けての動きは始まっているようです。
― 最後に ―
ラオスでラグビーをするのは正直、不安もありました。病気やけがの心配もありました。案の定、三角巾で腕を釣りながら、松葉杖をつきながら仕事をした日々もありました。でも、3年間ラグビーをやってきて良かったと思っています。振り返れば、色々なことが思い出され、何よりも一緒にラグビーをやってきた仲間から離れたくないという思いがなお一層強くなりました。
ラオスへ来る前、ラオスでこんなにもラグビーをするとは想像もしませんでした。とはいえ、僕のいた3年間でラオスのラグビーは非常に発展したとおもいますし、何よりもラグビーをやってきて 本当によかったと今改めて感じています。
これからもラオスのラグビーが発展を続けることを切に祈っています。11月にはラグビー普及のためのルアンパパンでの試合開催も計画されています。是非みなさんラオスのラグビーを応援してください!そして、一度是非ラグビーをやってみてください。とりわけ頑張り屋さんでなくても、とりわけ屈強な男でなくてもできるスポーツだということがわかるかもしれません。
(JICA) 松 元 (2009年10月26日 離任)
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