特にソフトの部分では、ホテルやゲストハウスに宿泊したり、レストラン等を利用された時にはサービスの質を感じられていると思います。市場開放が1986年に行なわれた事を考えると、まだ年数が経っていない点でもうなずけます。日頃、学生達に言っている事は、個々の人々はホスピタリがあるので、特にこれから観光産業に従事する諸君の肩にラオスの将来はかかっていると。少々オーバーかもしれませんが、まだまだラオスの観光産業は成熟期を迎える前であります。また、エコツーリズムと開発、道路等インフラの整備、まだまだ難しい点も多くありますが、2010年英国の旅行会社ワンダラストトラベルの投票でルアンパパ―ンが第一位に、国別では第5位になりました。ちなみに京都は6位で、日本は6位でした。
今後ラオスの観光産業は時間はかかりますが少しずつ発展すると思います。
JICAシニア海外ボランティア 増 山 ラオス国立大学 社会科学部
<一村一品開発>
ラオス全土内で最貧困郡47と言われている内、ビエンチャン特別市に唯一つ有るサントン郡(市内から65kmほど離れている)で、特に乾期に副収入を得る方策として一村一品開発を考えてきました。
2年と2ヶ月の任期が11月19日で終わりますが、その間にラオスに豊富に有る竹を使って、副収入を得る3品を考え(竹炭・竹酢液・竹粉有機堆肥)、生産方法を村民に指導し、かつ、販路開拓の方法も同時に体験して貰うと言う事を活動目標として行ってきました。
しかし、住む所はビエンチャン市内で、活動は65km離れた所という制限の中で、充分な活動が思うようにできなかった思いがあります。
(特に雨期には雨で地道の道路が冠水し片道3時間以上で、行けなくなってしまったりで、4輪駆動車でしか移動できないことで、活動計画にも影響があります。)
幸い、販路開拓には日本人女性グループの支援が得られた事、織物ギャラリーの幾つかも製品販売の取り扱いを始めてくれた事など、私が帰国しても何とか継続してもらえそうな状況になりつつあります。
会員の皆様方が、竹炭や竹酢液を使って除湿・脱臭効果・スキンケア等でクオリティライフを高めて頂く事で、知らず知らずのうちに生産者が潤い貧困削減の一助となります。
場違いではありますが、竹炭・竹酢液のご利用をこの場をお借りしてお願いする次第です。(私の帰国後は販売先などの情報について、JICA事務所にお問い合わせて頂ければご案内できるようにしたいと思っております。)
JICAシニア海外ボランティア 井 幡 ビエンチャン市計画投資局
<ルアンパバン職業訓練学校にて>
市街地から南西へ3 ,4Km離れた所に私が勤務するルアンパバン職業訓練学校があります。今年創立30周年を迎え、電気、自動車、観光、料理等8学科約1200名の学生が在席し、ラオス北部各地へ職業技術者を供給する中心的な学校です。衆知の通り、ここでも急速にタイ、中国から電子機器が流入し、各家庭にはTV/DVDがあり、オフィスにはパソコン、OA機器があり、ほとんどの人が携帯電話を持ち最新の電子機器に強い興味を持っています。一方で多くの若者が仕事を求め、街に集まってきます。
学校ではエレクトロニクスエンジニアを育成し、社会に技術者を輩出すれば、販売・修理関連で多くの仕事があるだろうと期待しています。しかし現実にはエレクトロニクス技術の進歩は著しく、デザイン・品質が向上して、正しく作られた電子機器は正しい取り扱い方をすれば壊れないし、修理が必要でもメーカーでなければ不可能です。といってしまうと実も蓋もありませんが。
この10月には電子工学科が創設され40名を越す新入生が勉強を始めます。現在5人の先生にエレクトロニクスの基礎と身近な電子製品の仕組みについて教えている所ですが、内容が非常に多く、英語だけでは先生が限られてしまうので、さらにラオス語による指導も欠かせません。また今年約600名の学生が卒業証書を手にしたけれど50%程度しか仕事に就けず、就職率の低い学科はとたんに学生が来なくなります。タイ、中国が経験してきたように先進国の企業、工場を受け入れて雇用を拡大させる施策も重要です。
現場レベルでは埃だらけの教室・職員室の掃除、整理整頓を徹底させることは根気強さとの戦いです。時に、ビアラオを飲みながら仕事、安月給、恋の話を聞いて元気づけていますが、最後はどちらが励まされているのか、判らなくなります。
学校の近くに私の住まいがあり、まだ人家の明かりが少ないので、特に暑気の夜は日本では見られない光り輝く多くの星が見られます。この地にもいつの日か地上の星が現れるのでしょうか。
2010年9月 ルアンパバン バン・マー(犬の村)にて。
JICA シニア海外ボランティア 船 橋 ルアンパバン職業訓練学校
<シェンクワン便り>
私の任地シェンクワン県では、UXOLAOの不発弾処理が未だに市街地近くで行われています。赴任当初は、この足下にも、もしかして、と思うと恐怖がこみ上げることもありました。隊員としては一人任地だったために、同じくシェンクワンで活動されているJMASの皆さんの存在が心強く、大変お世話になりました。
県庁所在地のポンサワンから十キロ、カンカイ村の教員養成校に赴任し、1年が経ちました。教員を志望する生徒約3000人が所属しおり、毎晩寮からは、陽気な生徒たちの歌声とギターが聞こえてきます。
週3回の実験教室では、将来中学校理科の教員となる学生さんと一緒に、中学校理科の実験をラオスにある材料で行えるよう、試行錯誤しています。失敗もたくさんありますが、それでもうれしくなる一瞬があります。
ラオスでは教材用の磁石が手に入りません。それではと、電池で電磁石を作り、磁石の代用として紹介したときのこと。2時間粘って、コイルの軸、軸受け、巻き数を調整し、ようやくコイルが回転した時の、先生たちの笑顔!私自身が、知識以外の「理科を学ぶ理由」を考え続けていた時期だけに、理科を学ぶ楽しさを分かち合えたことは嬉しく心に残りました。日本では何もかもが完成状態で供されます。それは、逆に私たちが自然に持っていた不完全を克服する能力を知らず知らずに奪っているのかもしれません。ラオスにおける実験物資の不足や、不完全は、それを克服しようとする意思の大きな原動力になりうるのだと感じました。ラオスの先生方とともに、自然に挑戦して学ぶ心の有り様を持ち続けていきたいと感じています。
JICA 青年海外協力隊 岡 崎 シェンクワン県カンカイ教員養成校
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