Association of Japanese Residents in Lao P.D.R.



2010年3月号目次

・JICA前所長

・日本人会クリスマス
・日本人会運動会
・教科書文房具の寄贈

・新春餅つき大会

・ナムグム・ファンランド
・ラオスの病院・一週間の入院
・日本人会ゴルフ愛好会

・一年間ありがとうございました!

コ  ラ  ム

ラオス初のファンライド実現に向けて
~ナムグム・ファンライド~


 これまで従事してきた観光業促進の観点から、昨年の1月「新しいラオスのアトラクションとしてサイクリングはどうだろうか? 」という想いをラオス・サイクリング連盟に打ち明けたところ、 連盟の目的とも一致するので正式にサイクリング振興を目的とした活動団体をつくろう、という話がとんとん拍子でまとまりました。それがジャパンーラオス・サイクリング・クラブ(JLCC)です。事務局代表、私。事務員、私。一人きりのスタートでした。

 クラブは3つの活動を掲げています。「①サイクリング観光の促進、②サイクリング・イベントの企画・運営、③中古自転車をラオスに贈る運動」人員は少なくとも、目標は欲張り気味に、活動を開始しました。

 今回行われたナムグム・ファンライドは、JLCCとして初めての活動です。企画から運営、関係団体の組織構成、許認可の書類作成まで全ての実務作業に携わりました。ビエンチャン・サイクリング連盟と何度も話合いを重ね主催団体としての了承を頂き、450周年記念事業として都庁からイベント催行の許可を得ました。今回は後援として、ビエンチャン(都及び県)観光局、都スポーツ局にご理解を頂くことができました。競技大会ではない、観光イベントとしてサイクリングを楽しむ、ラオス初のファンライドの開催です。

 大会の日取りは、2月14日(日)、バレンタインデー。想い想いのカップルが清々しい風を頬で受けながらのサイクリングもいいではないか、と悠長に気構えていたのが大会の始まる2週間前まで。ビエンチャンのラオス人サイクリスト人口は推定150人といわれているので、最低でも50人は簡単に集まるもの、とタカを括っていました。そんな私たちの目論見を中国(&ベトナム)正月が見事に打ち崩します。「ラオス人サイクリストの殆どは中国&ベトナム系」とのこと。 たしかに現地のカレンダーを見ればすぐわかることなのですが、他の作業に忙殺されて、まったく頭になかったのです。大会当日、果たして人数が集まるのか?不安は日増しに大きくなっていきます。

 後援団体の最終調整作業により、宣伝活動も予定より大幅に遅れてしまいました。 ポスターが刷り上がったのが開催1週間前。しかし、日本人の皆様には、元JICA SVの藤田昭雄さんを通じて日本人会及びJICAのメーリングリストに通知して頂くことで大勢の方々のご参加を頂きました。これが救いとなって、参加者総数73名、内ラオス人34名、日本人29名、西洋人10名とまがりなりにも大会としての格好を保つことが出来ました。

 今年は、2月の初旬に乾期中でありながらも雨にやられるなど、天候が全く読めません。はたして14日に大雨にやられて中止になったらどうしよう、ここはラオス人になりきった方がよいのかもしれません。「ボーペンニャン」半ば投げやりなその言葉を心の中で連呼しながら、胃に穴があきそうな準備期間を過ごすことになりましたが、信じる者は救われたのか、暑すぎるという点を除いては、抜けるような青空となりました。

 コースは40km及び80kmを設定しました。40kmはターンゴン〜バンクーン、80kmコースはドンヌーン~ナムグムダムです。さらに連盟からの要望で、競技種目が追加されることになりました。初めての大会でこんなにも盛りだくさんのプログラムを実施したことも原因となり、大会の案内が随分と錯綜してしまったと思います。スタート地点とゴール地点、エントリフィー、開始時間(タイ人のサイクリストには連絡上のミスがあり、20数名が9時スタートと勘違いして参加することが出来ませんでした)、食事の有無など。これに加え、参加者ケアのため、2コースに分配する車両手配など当日のロジスティック上の問題が表面化します。

 大会が終わってから1週間が経ちますが、事業報告や収支報告など事後作業に加え、連日、関係者との反省会の日々です。運営上の様々な問題が浮き彫りとなりました。また収支も(予想通り)赤字スタートとなりました。ただ、何よりも励まされたのは、「それでも、楽しめたよ」と参加者の方が言ってくださったこと。イベントのプロでもない私たちが、一から手作りで、まがりなりにも大会を実現させ、事故無く無事に終えることが出来たこと、これらが運営側としての最大の収穫であったと思います。 最後に、この場をお借りして御礼申し上げたい方々がいます。

 大会当日には、女性サイクリストからご協力を頂きました。 当日の受付、参加者へのアナウンス、会計作業など、面倒なことばかりお願いしてしまいました。 薮田さん、清治さん、福江さん、お疲れさまでした、そして、ありがとうございました。

 千葉在住で、毎年約3000人の参加者実績を持つ「ツール・ど・ちば」のサポートスタッフでもある金さんには、企画段階からテクニカル面等で貴重なアドバイスを頂き、今大会にもスタッフとして皆様とともに走行して頂きました。サイクリングの知識もさることながら、体のメカニズムを把握しながら走る、筋骨隆々のそのお姿は、本当に心から頼れる大きな存在でした。皆様にも是非金さんと一緒に走って頂きたいと思います。サイクリングの楽しさに目覚めると思います。次回、ラオスには5月に来られるそうですので簡単なツーリングなど企画したいと思います。

 JICA SVとして観光分野のアドバイザーで赴任されていた藤田昭雄さんには、クラブ発足以前の構想段階から深いご理解を頂き、大会当日まで一スタッフとして、多大なご支援を頂いて参りました。悶々としていた想いを一つ一つ具体的な構想へと変えることが出来たのも、また、これだけ多くの日本人の皆様にご参加頂けたのも、藤田さんのサポートを無くしては考えられません。離任された後も、今大会のためにまたラオスを訪れてくださりました。 本当に、本当に、ありがとうございました。

 参加してくださった皆様、不備の多い大会ではありましたが最後までお付き合い頂きありがとうございました。今回の山積みの反省点を見直し、次回企画(11月予定)へとつなげていきたいと思います。ありがとうございました。
JLCC事務局代表
森  卓


ラオスの病院―1週間の入院体験記


 右目の視力が急に衰え車の運転が不安になり、ラオスの眼科専門の病院で診察を受け白内障と診断され、手術を受けることにしました。

 4年前にも左目の手術を同じ病院で受け、良く見えるようになったので、今回もためらわず手術を受けました。一週間の入院で手術の費用と特別室の入院料共で1,000,000キップでしたが病院食はなく、3食自宅から運びました。今回は同じ特別室の個室でTV、冷蔵庫、トイレには水だけのシャワーが付いていて、3食病院食がはこばれました。

 朝はお粥、昼はラオス風チャ―飯、夕方は肉と野菜の煮込んだ具がかけられた物とス―プ、果物が少々、病院の外廊下には机と椅子があり、「ご飯ですよ」と声がかかり、机の上にはそれらがおかれておりました。室内にはベッドがあるだけで、見舞客のテーブル、椅子はありません。故に外廊下に出て食事を取るということです。

 さて、入院の日は、院長先生からのおもしろおかしい説明があり、かれは説明の後で、入院患者一人一人にビニール袋をくれました。その日は一日病室で休み翌日、手術でした。手術前に手術、治療費、入院費を3,000,000キップ前納です。前納しないと手術はしないようです。院長先生担当の手術で助手が4人ばかりついておりました。勿論、患者は皆病院から支給された患者用の衣服に着替えております。院長先生は、どこで覚えたか日本語で「セマクテ」とか「タイシカン」とか「シカシ」等と言って私を失笑させ、また助手たちに説明し女性の助手も笑っておりました。このラオス語の意味は省略しましょう。

 眼科のラオス語を少し記します。

視力検査コワッドサイター

目をつぶってラッブター

目を開けてパッブター

まばたきをしてムンター

目を動かさないでボーハイネンター

目が痛いチェッブ ター

まぶしいルアン ター

遠視サイターニィヤオ

老眼サイタープ―タオ
 何かの時に使ってください。

 一週間後、無事退院することができました。隣の病院に入院していた、私と同じ年頃の男性も退院しました。その患者につきそっていた息子、年のころ、40年配の人から、私の退院祝いと云ってラオスの精力剤と称する木片の入ったラオラオを一本頂いて、無事我が家に戻りました。
斎  藤


日本人会ゴルフ愛好会結果報告


 1994(平成6)年11月に産声を上げた当愛好会も10月月例会で15周年を迎えました。一言で15年と言えば短いかも知れませんが、ここまで継続して開催できましたのも一重に皆様のご協力のお陰と感謝しております。記念大会になりました10月月例会の表彰式会場には多数の景品が所狭しと並べられ、記念大会に彩りを加えてくれました。多数の景品を提供していただきました皆様にこの場を借りて深く御礼申し上げます。

 盛り上がった平成21年度大会も盛況の中終了し、新たに平成22年度宮下大使杯取り切り戦に向け、熱戦の火ぶたが切って下ろされました。

 

○連載「取り切り戦への道」
~ROAD TO THE CHAMPIONSHIP~


【第4話 女性の敵!?誕生】
 今年度、月例会の中でただ1人2度の優勝を飾ったのは日本人会の会長、高沖さんです。本来であれば、賞賛されるべき成績なのに周りからは非難の声・声・声。 それもそのはず、高沖さんが優勝した2大会とも女性ゴルファーが同スコアの2位に入っていたのです。女性に優しいと自認しているにも関わらず、優勝を譲りませんでした(スコア調整ができないので、当然ですが)。2度目の優勝の際、表彰式では大ブーイング。ラオス日本人会ゴルフ愛好会に思わぬ女性の敵が誕生しました。

平成21年度取り切り戦結果
 平成21年度の月例会優勝者のみが参加し、黄金色に輝く宮下大使杯を目指し凌ぎを削る宮下大使杯取り切り戦が、1月17日開催されました。
 今年度は、ほとんどの出場資格者が参加し熱い戦いが展開されました。  最終18番ホールまでもつれた取り切り戦は、ティーショットでOBを打ち自滅した山川さんを尻目に安定したショットで最終ホールを切り抜けた三輪さんが2位以下を振り切り、見事宮下大使杯を手中に収めました。

 日本人会ゴルフ愛好会では、まだまだ月例会の参加者をお待ちしております。我こそはゴルフの達人と思われる方または出たいけどエントリー方法等がわからない等の質問がある方は下記の連絡先まで気軽に連絡下さい。

 今まで足繁く通っていたKM14ゴルフコースが1月末でしばらくの間、クローズに入りました。現在、月例会はKM6ゴルフコースとSEAゲームゴルフ場で開催をする予定です。 有志によるゴルフもその都度時間を調整して行っております。詳細につきましては、合わせて下記の連絡先までお願いします。
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