Association of Japanese Residents in Lao P.D.R.



2009年11月号目次

・LJセンター所長

・チャリティバザー
・盆踊り

・遺跡の町 ビエンチャン
・僕のラグビー人生
・ラオスの素材を使ったレシピ
・ミタパープ会
・日本人会ゴルフ愛好会

日本人会活動報告

日本人会チャリティーバザー奮闘記
2009年10月10日(日)


 「じゃんけんぽん!」あー勝ってしまった・・・。忘れもしない7月31日、実行委員会で不運にも!?バザーの総責任者に決まってしまった。これまで日本でもバザー開催の経験はなく、去年の様子も分からない。手探りでのスタートとなった。

 とりあえず去年の様子を聞いてみる。「品物がたくさん集まり、1,000ドルを超える収益を得て、大成功だった!!」とのこと。とにかく品物を集めることが最も大切ということが分かった。

 8月11日、SUZUKIの張元さんから今年も協力をいただけることになった。それから日本人会のメールで品物の募集を行った。反応がない・・・。少し焦りを感じつつ、2度目のメールを送信してみた。今度は反応があった。でも微々たる量であった。このままだとバザーが実施できなくなるかも、という一抹の不安を感じつつ、藁をもすがる思いで実行委員会のメンバーに手当たり次第、知り合いにお願いしてもらうことにした。もちろん補習校の御父兄方にもお願いした。苦肉の策で品物の収集日を設定してみたところ、数名の方が協力してくれた。最終的には皆様のお陰でかなりの品物を集めることができた。

 品物が揃ったところで、寄付先の検討を行った。実行委員会での検討の結果、あまり寄付されたことがないような小学校が良いのではということになった。9月21日、ビエンチャン県の貧困郡であるサントン郡の小学校を訪問した。「小学校で何か不足しているものはあるか?」という質問に対して、先生達は口をそろえて、「教室が足りない、教科書が足りない」と言った。限られた予算で教室を建てるのは土台無理な話だが、せめて子供一人一人に教科書をそろえてあげたい。実行委員会の方針はすぐに決まった。

 バザーの開催日が近づいてきた。9月26日、多くのボランティアに参加いただき、値札付けをスムーズに行うことができた。そして、ついに10月10日。バザー当日午後1時からトラックをお借りし、バリケードを会場に運んだ。品物はボランティアの皆様の自家用車で運んだ。会場の設営をしていると、ラオス人がいきなり取り囲んできた。「何時から始まるの?」とかいいながら、もう物色を始めている。「4時から」と答えながら、離れてもらうようにするが、すぐに押し寄せてくる。バリケードが届き、品物の陳列が終わった頃には、100人ぐらいの人だかりができていた。

 3時半から整理券を配ろうとしたが、「誰から配ればよいの!?」。誰も列になっておらず、どこから配ればよいか分からない。ラオス人のボランティアに協力してもらって、とりあえず揉めないように注意しながら、列をつくらせて整理券をなんとか配った。250枚あまり配ったところで、これ以上配っても、品物が無くなってしまうので意味がないだろうという感じになった。

 午後4時、ついにバザーが始まった。「整理券の番号1から20までの人どうぞ!」20人を10分ごとで入れ替えていく予定だった。でも、運よく中に入った人がバリケードの外の人からの指示で買い物をしており、よく観察すると、バリケード越しにお金のやりとりまで始まっている。ラオス軍服を着た人まで率先して外からあれこれ指示を出している。目は真剣そのもの。ラオス人恐るべし・・・。「整理券など意味がない。とにかく早めに人を入れ替えよう」ということで、10分間を待たずにどんどん入れ替えることにした。でも何度入れ替えてもバリケード越しのやりとりは止まらず、ラオス人同士の知恵と結束力に脱帽した。そうこうしているうちに、売れ行きが鈍ってきた。

 「とにかく全て売り切ってください。」売り子の人に半額セールをお願いした。ほどなくして整理券をもたない人も入れて、更に値段を下げてのたたき売りとなった。最後まで残っていた靴もまとめて持っていかせた。結局、皆様のお陰でほとんどの品物を売り切ることができた。収益金の集計が終わったところで、ほんの少しだけ歓声があがった。「売上が1,500ドルを超えてます!」その声を聞いた途端、とりあえず責任を果たした安堵感と疲れがどっと出た。

 最後に皆様の血と汗と涙で得られたこの度のバザーの収益(1,700ドル(集計中))はできるだけ早めにラオスの小学校と補習校に寄付する予定です。皆様の多大なるご協力ありがとうございました。
日本人会理事
龍  澤


ラオス盆踊りレポート
2009年10月10日(日)


 ラオス日本人材開発センターでは日本人会と協力し、10月10日(土)バザー&盆踊り大会を開催しました。盆踊り大会はバザー終了後、午後6時の芽魂太鼓による太鼓のパフォーマンスから始まりました。芽魂太鼓はカンボジアの和太鼓グループで、カンボジアだけでなく、ラオスを含む近隣諸国でも活躍しています。ラオスでは2007年の盆踊り大会でも太鼓の演奏を披露してくださり、今回が2回目となります。和太鼓の演奏は今回の盆踊りのオープニングを飾るのにふさわしく、大いに会場を盛り上げてくださいました。

 また盆踊り会場では櫓を囲む形で夜店が並び、様々な日本料理の販売や日本のNGO、JICAの展示などが行なわれました。圧巻はマグロの解体ショーでタイの日本料理店が持ち込んだマグロの解体ショーを行い、店の前には大きな人だかりができ、マグロの解体を興味深く眺めていました。また解体したマグロは盆踊りに参加した人々に配られ、皆おいしそうに新鮮なマグロの刺身を堪能しました。

   さて盆踊りに話は戻りますが、踊りは6時半から始まりました。ラオス国立大学よりサイコーン副学長、 日本ラオス人材開発センターより佐藤所長、日本人会より高沖会長が開会におけるスピーチを行い、盆踊り最初の曲「炭坑節」が始まりました。曲が始まると浴衣やラオスの民族衣装を着たラオス国立大学学生が輪になって踊り始めました。お祭りに参加した人々もそれに倣って一緒に踊り始め、大きな輪となりました。その後も日本の曲やラオスのラムが次々と流れ、参加者もお互いに踊りを教え合いながら盆踊りを楽しみました。今回の盆踊りを通して日ラオの友好がより深まり、参加した人々にとって良い思い出になればと思います。
LJセンター
三  好