Association of Japanese Residents in Lao P.D.R.



2008年3月号目次

・2007年度日本人会副会長

・鳥インフルエンザ

・バザー収益金 寄贈式
・日本人会大運動会

・教務チームの取り組み

・ラオス人に学ぶ酒を断るすべ
・アカ族のラオラオ
・七変化の町ルアンパバーン
・カブトムシおにぎり
・サニャブリのルー族
・ラオ薬草酒のコレクション物語
・森の温泉
・忘れられたビエンチャンの港
・ビエンチャンにもっとも近い温泉
・モン正月
・ナムグム湖
・バンビエンの洞窟
・ナムフーム、タートソン...
・家畜市場価格
・家の近所のラーメン屋
・サワンナケート
・カムアンのコンロー洞窟
・私の思いでの道 15号線
・ガイドブックにないラオス南部
・ワットプー祭り
・ラオス人と毎日の天気
・ラオスの道路事情

・一年間を振り返って

補習校だより

日本語補習授業校から教務チームのとりくみ。

名  村

かけがえのないこども時代のために

 日本語補習授業校では、「教務ミーティング」を、月に一,二回の割合でひらいています。島崎校長先生以下、運営委員長、実際に授業を担当する教師陣らが出席し、毎月の授業内容の報告や、問題点を話し合い、また、あらたな取り組みを提案するなどして、こどもたちにとって、よりいっそう意義のある時間を創りだしたいと、知恵を出し合っています。

 2003年、2006年と2回続けて、PISA(Programme for International Student Assessment OECDによる国際的な生徒の学習到達度調査。十五歳が対象)で、日本は読解力、科学的リテラシー、数学的リテラシー、問題解決能力のすべての分野で順位を下げました。2007年、文部科学省はこれを「学力低下」の結果と見て、「ゆとり教育」の見直しを選択しました。数年おきに方針がかわり、そのたびに教科書の内容が変更され、兄弟や姉妹で教わった内容がぜんぜんちがう、といった話はもはや当たり前になってしまった、昨今の日本の小・中学生。また、PISAの調査結果の妥当性を問わずとも、海外で育つこどもたちには、別のリアリティのなかにいます。かつてはインターナショナルスクールで、「日本人のこどもは英語はいまいちでも、算数では頭ひとつ抜けている」と誇りをもっていました。ところが大人の国際情勢と比例するように、小学生の世界も、いまやインドや韓国といった勢いのある国のこどもたちが「算数の秀才」の座を占めている、といわれます。これが日本国内の教育政策のゆれを反映したものであることは想像に難くありません。

 「国際社会に通用する人間」という大それた目標を掲げるつもりはありません。しかし、日本国内でも学力低下が問題になり、さらに海外の学校における日本の子供たちの立ち位置さえかつての「誇り」が失われつつあるという現代、われわれはいったい何を基準にこどもたちを教育すればよいのか、あたりを見回しても答えは転がっていません。それでも大人たちは、母国を離れて生活するこどもたちのために、なにができるのか、模索の旅を続けないわけにはいかないのです。

なぜ母国語が大切なのか

 海外で育つ日本人の教育をめぐるさまざまな要求のなかでも、原点といえるのは「母国語の大切さ」だと思います。こどもたちは親よりも巧みに英語を話すようになり、それはそれで羨ましいほどのかれらの財産なのですが、この先の人生でかれらが身につけるべき「抽象的思考」は、第一言語・母国語という土台がしっかりできていないと、何語でも築くことができない、といわれています。カジュアルな、「マンガがよめる」程度の日本語では、大人としての思考力が積み上げられないのです。

 教務チームでは、総合的な日本語力のスキルアップをめざして、「一分間スピーチ(中学生は三分間)」を導入しました。日本の小学校でも全学年で実施しているところが多く、国語学習の基本「読み」「書き」「話す」の三つのうち、つい後回しにしてしまいがちな「話す」能力を磨きます。ただでさえ、「ことばの乱れ」が気になる昨今ですが、補習校のこどもは、少ない人数ゆえか、先生に対しても、「せんせー、今日宿題ないのー?」というような言葉づかいになってしまう傾向があります。それを逐一修正していくのも、現実問題として結構むずかしいものです。しかし、「スピーチ」と銘打って、全学年の前で話すとなると、「公的」な場に立っていることを意識して、ですます調で、きちんとした話し方をしようと努力します。

 「一分間」は目安であり、実際は一分を超える場合がほとんどです。事前に先生に順番を告げられるので、たいていの場合、家庭で保護者と準備をしてきます。テーマは実にさまざまで、「日本における自動販売機の台数と総売り上げ額」といったユニークな研究発表もあり、大人がきいても「へえーー」とはじめて知ることが多々あります。国語の学習という当初の思惑を超えて、この一分間スピーチから、環境問題や国際問題に話題が広がることも多いのです。

一分間スピーチから広がる世界

 4年生のKくんは、ふるさと、沖縄の基地問題をとりあげました。沖縄はかつて、アメリカに占領されていたこと、いまもアメリカの基地があること、住民は騒音などで苦しんでいること、アメリカは海上に新しい基地を建設しようとしているが、そこは絶滅危惧種のジュゴンの生息地であること・・・・・・・などを話しました。こどもたちも、「沖縄」は、きれいな海のある県としてテレビで見たことがあるでしょう。しかし、目の前で、仲間のKくんが語る沖縄の現実は、強く胸を打ちます。だれもが心に、「沖縄」「基地」という言葉に対するレセプターをもったのではないでしょうか。

 また、国語学習のなかで、さらに見過ごしがちなのが「聞く」練習です。大人になると、「聞く」ことの練習などしたものか、と忘れてしまいますが、人の話をきちんと聞くことも「学習」によって、われわれは身につけたのです。低学年の、これをきちんと「学習」していないこどもたちは、「話している人の顔をみて」「だまって終わりまでひとの話をきく」という、当たり前に思えることが、まったくできませんでした。つまり、話している人の顔をみない、話の途中で自分の感想を大声で叫ぶ、または質問ぜめにする、という状態です。

 ところが、この「一分間スピーチ」をしばらく続ける間に、そんな低学年の子供たちも、「人の話を聞く」ということのなんたるかを会得していきました。今では、話者の話にしずかに耳を傾け、話が終わってから質問をする、という態度が身につきました。低学年の児童にとっては、堂々たる態度で話す高学年のお兄さんお姉さんの、ちょっと難しい話をきいて、社会に対する見聞を広めることができます。また、高学年の児童は、小さな子たちが、ペットのことなどかわいらしい話題を、たどたどしく一生懸命話す様子を、じっとだまって聞く、辛抱強さを見せてくれます。その大人びた姿には、さすがお兄さんお姉さんだなあ、と成長を感じずにいられません。

ボランティアの方々 

 教務チームのなかでも、島崎校長先生、工藤先生、片山先生の貢献には頭が下がります。本来なら自分のために使えたであろう多大なる時間と労力を、教育のために割いてくださっています。長い海外生活で培われた広い視野のなかで、外国で育つ日本人のこどもたちの将来を案じ、一肌ぬいでくださったのだと思います。さらに海外青年協力隊の難波さん、水谷さん、JICA専門家の宮島さんにもボランティアとしてご尽力いただいています。このような方々の心意気に報いるためにも、保護者は、こどもたちのビエンチャン時代が実り多きものとなるよう、その健やかな成長を、バックアップしなければならないと思います。