Association of Japanese Residents in Lao P.D.R.



2008年3月号目次

・2007年度日本人会副会長

・鳥インフルエンザ

・バザー収益金 寄贈式
・日本人会大運動会

・教務チームの取り組み

・ラオス人に学ぶ酒を断るすべ
・アカ族のラオラオ
・七変化の町ルアンパバーン
・カブトムシおにぎり
・サニャブリのルー族
・ラオ薬草酒のコレクション物語
・森の温泉
・忘れられたビエンチャンの港
・ビエンチャンにもっとも近い温泉
・モン正月
・ナムグム湖
・バンビエンの洞窟
・ナムフーム、タートソン...
・家畜市場価格
・家の近所のラーメン屋
・サワンナケート
・カムアンのコンロー洞窟
・私の思いでの道 15号線
・ガイドブックにないラオス南部
・ワットプー祭り
・ラオス人と毎日の天気
・ラオスの道路事情

・一年間を振り返って

編 集 後 記

 ふは~、やっと終わった・・・と書いている今この瞬間は正確にはまだ終わっていない。今回は珍しく編集後記を完成前に書いている。追いつめられないとなかなか実行に移さない私にしては珍しい。最初、こういう広報誌を作ろうと色々と考えていたけれど、そうこうしている内に締切が来てしまい、毎回必要以上のことはなかなかできなかった。

 広報の仕事は基本的には誰かに記事を書いてもらい、それを編集するだけの仕事である。記事を依頼された人は面倒であったろうに、なかなか熱の入った原稿を受け取った時の喜び、そして完成品を見るときの喜びは何物にも代え難い!とまで言うと言い過ぎであるが、単身この国で過ごす私としては、人と関わる数少ない楽しみのひとつとなったのではないかと思う。 今年度最後の広報誌では、これまであまり参加してこなかった人達も巻き込みたいとの気持ちからコラムのテーマを設定し、色々な方に記事の執筆をお願いした。この結果、通常の2倍の24ページもの分量になり、嬉しい悲鳴となった。

 2月からHPの暫定運用が始まり、今後は広報の形態もどんどんと変わっていくことだろう。10年後のラオス、そしてラオス国日本人会の姿はよく想像できない。一体どんな風になっているのか。ささやかながら日本人会の仕事の一旦を担った者としては人並み以上に興味のあるところである。紙媒体による広報誌は近い内に無くなるかもしれないが、日本人会が存続しこの国とここに住む日本人にとって何らかの役割を果たし続けていくことを、つまりはラオスの平和が続くことをも含めて、心から願っている。
木  原