コースは国立競技場を出て西に向かい、ぐうっと道なりに南下したところワット・インペン前を左折して、ワット・ミーサイやナンプーを眺めつつセタティラート通りを走り、ホーカム前でまた左折、ランサン通りをパトゥーサイに向かうという、正にビエンチャンの観光名所を網羅したルートである。その後はタートルアンに向かい、広場手前の交叉点を左折して、カイソン通りを一路北に向かう。朝から雲一つない青空が広がっている。今日も暑くなりそうだ。
走っていて感じたのは、市民の人たちが思ったよりランナーに関心を払わないということである。カイソン通りに入ると店や家が立ち並んでくるが、殆どの人がランナーを見向きもしない。声援など全くない。この大会は十回目だそうだけれど、まだまだ知名度が低いのかも知れない。或いは先頭から離れていた(と言っても十数分だろう)ので、もう見るのにも飽きてしまっただけなのかも知れない。
エジプトの大会では沿道の子どもたちが面白がって石を投げつけてきた。こんなところにもお国柄は表れる。
大きな交叉点では警察が出て車を止めてくれる。ふむふむありがとう。ちょっと手を挙げて合図を送ったりして、最初は余裕だった。最初は。でもそれ以外の箇所においては基本的に交通規制が行われていない。既に先頭から離れてしまっているのが原因だろうけど。自分の隣を車がびゅんびゅん走っている。袖が触れ合うくらいにバイクが直ぐ脇をすり抜けていく。ビエンチャン名物のバイク逆走はこんなときでもお構いなしに真正面から向かってくる。もちろん彼らはいつも通りに道路を走っているだけである。それを邪魔して勝手に迷惑がっているのはランナーの方なのだ。
それでも疲れてくると肯定的な対応ができなくなってくる。「人が走っているのにどうして正面から走ってくるんだ」「十年も開催しているのにこの程度の認識だなんておかしい」「マラソン大会の広報が足りないのではないか」「そもそも迂回路のないこの道を使うのには無理があるのではないか」等々、ひやりとする度にいろんな悪態が頭の中を駆け巡る。いかんいかん。楽しく走らなきゃ。そして安全第一で走らなきゃ。
ドンドークのバス停留所の前ではバスが停まっていて、バスに乗ろうとする人混みに飲み込まれながらも何とか脱出した。危ない危ない。もうちょっとでパクセーまで連れて行かれるところだった。しかもお金は持っていない。脚の調子は悪くなかった。練習不足は間違いないけれど、序盤を抑えたペースで入ったお蔭か、悲鳴を上げる様子は今のところなさそうだ。徐々に体も温まってきて(というよりもう既に炎天下だったけれど)、前のランナーを大分抜かしてきた。そろそろ折り返し地点があっても良い頃だ。パトゥーサイから出発した去年の折り返し地点はもう少し先である。折り返してきたトップのランナーとすれ違う。もっと早くすれ違うかと思ったのに、予想以上に奥の地点だった。ひょっとしたら結構速いペースで走っているのだろうか?
でも折り返し地点は現れなかった。予想していた辺りにそれらしき形跡は影も形もなかった。更に進んで昨年の場所まで行っても折り返し地点はなかった。一抹の不安が頭をよぎる。まさか道を間違えたのか?去年のレースは何だったんだ?
それでもまっすぐ走り続けると、大きな三叉路で前のランナーが折り返しているように見えた。案内表示は何もない。交通整理の人もいない。でもまあいい。ここで折り返そう。このまま走り続けたらボリカムサイまで行ってしまう。いや多分きっとその前に行き倒れる。
脚が何となく重いなと気が付いたのは、復路のバス停留所辺りだった。明らかにペースが落ちている。そういえばこれまでに給水が一か所しかなかった。まずい。脱水症状だろうか。さっき抜かしたランナーに抜かれ始めた。膝が少しずつぎりぎりと痛み始めた。ふと気が付くと隣にトラックが近寄ってきて、荷台にいた人が水をくれた。移動給水車だった。でもこれが最後の給水だった。そしてここがこれから始まる激走の入り口だった。
道に映る自分の影が少しずつ短く濃くなっていく。気温はどんどん上昇している。快調に走っていたさっきまでとは打って変わり、脚がうまく上がらない。体が思うように前に進まない。走っても走っても景色が変わらない。交通量はますます増えている。交通規制の警察官の姿もすっかりなくなった。前のランナーは自転車の後ろに乗って行ってしまった。他のランナーの姿は視界からなくなった。一人でぽつんと走り続けた。でも棄権はしたくない。最後まで走り通したい。
突然日本語で名前を呼ぶ声が聞こえる。ん?頭がいかれて空耳が聞こえたか?ふと道路の向こうに目をやると、N親子が声援を送ってくれていた。ありがとう。聞き慣れた野太い声が黄色い声援のように聞こえる。手を挙げて笑顔で答える。でもきっと引きつった笑いにしかならなかったと思う。まだまだ先は長い。どれだけ時間が経ったのか自分でももう解らない。暑い。汗が蒸発して顔が塩だらけになっている。頭がぼんやりとしている。他の人はもう帰って寛いでいる頃だろうな。ビールが飲みたい。一応走っているつもりだけれど、歩いた方が速いくらいかも知れない。でも最後まで走らなきゃ。
少しずつパトゥーサイが近付いてきた。広場は直ぐそこだ。やれやれ。もう少しだな。ところがそのとき突然頭が真っ白になった。そして脚が止まってしまった。「あっ」と気付いたときにはもう遅かった。何てことだ。ここまで頑張ったのに。でもまた直ぐに走り始める気力も体力もそのときは見当たらなかった。自転車の白人に大丈夫かと声をかけられる。大丈夫と返事をし、屈伸を繰り返してとりあえず歩き始める。
パトゥーサイ広場をぐるりと回ったところでもう一度走り始めた。残り少しは何とか走れるだろう。でもどの道を行けば良いのだろう?
予想通り走っても表示はなかった。確かこの道だったよなと見当をつけて道を曲がる。道路を渡るだけでも命懸けだ。競技場に近付くに連れて少しずつマラソン帰りの人とすれ違う。競技場は直ぐそこだ。やっとここまで辿り着いた。
競技場に入るともう既に人の姿はなかった。いや。一角に拍手を送ってくれる人たちがいる!待っててくれたんだ!嬉しい。ありがとう。随分待たせちゃったんだろうな。とにかくゴールに向かって走った。ゴールのゲートだけはまだ撤去されていなかった。あそこに入ればもう終わりだ。長かった。暑かった。しんどかった。やっとだ。ゴール。後ろには誰もいなかった。ゴールした最後のランナーだった。
マラソンは人生の比喩としてしばしばなぞらえられる。そしてこの言葉は逆もまた真なのだろう。喜びも苦しみもあった。ままならない外部環境もあった。思わぬ展開が待っていた。快調に走れたこともあった。なかなか前に進まないこともあった。暖かい声援があった。迎えてくれる素敵な仲間たちがいた。走ることは楽しい。途上国のマラソンは途上国での生活に似ている。
数日間ひどい筋肉痛に悩まされた後、いつかどこかの大会を目指して練習を開始した。さて、次はどこを走ろうかな。
宮 島
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